【歴史は変わった】隋帝が聖徳太子にキレた本当の理由

どうもこんばんはー。

先日公開した日本書紀に載ってない「幻の遣隋使」のお話っていう記事がかなり好評だったみたいなので、今回はもう一つ豆知識を皆さんに授けたい紹介したいと思います。


この記事でも少しだけ触れたんですけど、「なんてことはどうでもいい」と声を大にして叫び華麗にスルーした部分、聖徳太子が送った国書がなぜ隋帝にブチギレられたのかをお話ししようかと思いますw

まずは原文を見てみましょう。
日出處天子致書日沒處天子無恙云云
書き下すと、「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無しや、云々」となります。現代風に訳すと「日が昇るとこの天子から沈むとこの天子に手紙送るぜ。最近うまくやってんのか?」っていう感じ(なんか違う)

これに対し、当時の隋帝は大激怒。隋の外交官に対して
蕃夷の書に無礼あらば、また以て聞するなかれ
まあ要するに「無礼な書は今後二度と持ってくんな」って言ったわけですね。

ところで、なぜ隋帝は聖徳太子の国書にブチギレたんでしょうか。以前は聖徳太子の「日出ずる処」という記述が上から目線だとして激怒したのではないかと考えられていました。教科書にもそのように載っていますし、現に私もそのように習いました。

しかし、この「日出ずる処」「日没する処」というのは方角を表す仏教的な表現で、そこまで大した問題はなかったというのが最近の学者間での見解のようです。

では、真実は何なのか。今現在最も有力な説は「天子」がマズかったのではないかとされているようです。

「天子」という言葉は中国では結構ナイーブな言葉で、「天帝(最高神)の息子として、天帝の命令で全世界を統治する者」のことを指します。だいたい皇帝と同じような位置づけですね。

この天子なんですが、本来1人しかいないはずなんですよね。しかし、聖徳太子はそんなことは知らずに「天子から天子に手紙送ります」って書いちゃったわけなんですよねwww

そりゃあ2人以上いたらおかしいよね(しかも隋からみたら野蛮国が勝手に言ってる)、というわけで隋帝はブチギレた、「こいつぁ無礼だ」ってことになったのが最近の学説なんだそうです。


以上、隋帝が聖徳太子にキレた本当の理由ということで書いてみました。

富本銭が見つかったりするなど、歴史って結構移り変わる「正確には新たな史実が判明する」こともあるので、意外と昔の教科書で習ったことが今では通用しないことも結構ありますよね。。

今回はこの辺で。

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